思想 美しい現実

『現実よりも想像の方が美しく見える』というのはきっと、想像の方が自分にとって都合のいいものでできていて、現実には往々にして自分にとって都合のよくないものが多分に含まれていて、(それはきっと自分以外の存在が確かにそこにある証左で)、自分の求めた通りでないそれは決して自分のものではないからこそ(そして誰のものでもないからこそ)美しいと思える心を持てる人がいいよね。

想像の方が美しかったと落胆するとき、そこには自分の思い通りにあってほしかったという恣意性が存在してしまっていて、それはつまり今ある現実の実体を重視していないということで、ならば現実を浴びに行く意味がないのだよな。

写真や小説が最たるもので、写真家は現実を想像のラインに引き上げにくるから絵より難しい。確かに現実を写し取っているはずの写真は、その美しさを自分の目で見ることはほぼ不可能だし、どれほど経験に裏付けされた現実味のある物語だとしても、フィクションであるなら物語性のための美しさが付与されている。現実から薄皮一枚隔てた隣にある脚色された想像は美しさを求めさせる力がある。

逆説的に、現実をまっすぐ見据えて求めていて、想像を「単なる独善」だと断じられる方が健全な構築かもしれない。人間は想像を共有して繋がる生物だけど、想像を現実より美化しすぎてはいけないし、想像に溺れてもいけないし、現実を卑下するのもよろしくない。

思い通りにいかない、決して自分のものではない現実を、その美しさの中で生きていることを謳っていくのもいい。