その三つの紙飛行機は、奇しくも同じ人間の手に届いた。不思議なことに、その人間のよく訪れる場所に溜まっていたからだ。飛ばされた日時も書いた人間も違うように見えるのに、そうして集まるまで見つからなかったのは、不幸ですらあるのかもしれない。
その人間は、兄弟達の告白を読んで、小さく畳み、ポケットにゆっくりと仕舞った。
※一つ目の紙飛行機
僕と兄さんは、何物にも許されない罪を犯している。けれど、今、こうして最後に書き残さなければ忘れてしまいそうな程、僕の罪の意識は希薄になっている。なんと怖ろしいことだろう。僕は自分の犯している罪をよく知っているというのに、他でもない兄が優しく撫でるものだから、これでいいのか、と少しずつ絆されてしまう。そしてそれを受け入れる僕は、落魄れた兄と、毎夜を共にする。
灯りの消えた寝室で六人、大きな布団に包まる。僕はその右端で、ほんの少し窮屈さと寒さを感じ、温もりを求め、左隣で目を閉じる六つ子の兄の手を引いて、他の四人に気付かれないよう慎重に、こっそりとその手を重ね、それを合図に兄が握り返し、寝返りを打ち、息が当たるほどに同じ顔を近づけ、呼吸を交え、同じく生まれた身体に跡を残してゆくのだ。
僕達は、静かに更け行く夜の色や、繋がりが途切れた瞬間の淋しさに怯えていた。同じ布団に六人が寝ているのに、同じ家に八人が生きているのに、まるで僕達二人しか存在しないような、足掻きようのない傷の舐め合いへ身を堕とした。いつか皆に知られてしまうかもしれないというのに、しかし、それでも、同性ましてや兄弟という関係を越えた行為をやめることはできなかった。その吐息や温もりは計り知れない地獄であり、頭の先まで浸かりきった泥沼で、それでも弟でいようと足掻く心が、崩壊してゆく。清らかさなど一片も無い、どろどろに穢れた身体と心を持て余して、きっと今日も溺れるのだろう。
ああ、やはり僕達は、愚かしく生きることしかできないのだ。
どうして僕達は兄弟として生まれてきてしまったのだろう。いっそ他人ならば、何の憂いもなく、兄さんを愛していけたのに。いっそ他人ならば、残酷なまでに切り離すこともできたのに。僕達は、僕は、こんなにも罪を犯しながら、生きる意味を見失いながら、――そう、生きる気力を持つことなど赦されないと知っているから、罪を忘れてゆく。
僕達は、どうやって生きてゆけば良いのか。僕達は、なぜ生まれてきてしまったのか。フカの幻想が視えないのは、つまり反対に僕達への罰である。いつかの来世、そう来世に、生まれることができたなら。
この手紙がどうか、遠い誰かに読まれたならば、罪に呑まれた愚かな兄弟がいたことを、赦してほしく思う。
松野一松
※二つ目の紙飛行機
共に産まれて二十数年。兄弟のことは何でも解ると自負できる程、我が六つ子を愛し大事に想う気持ちを持って生きてきた。それが裏目に出たことも両手の指では足りないが、最終的には大団円で毎日眠りにつくのだ。
喧嘩もすれば共謀もする、その一つ一つが絆であり変わらぬ六つ子の姿だった。俺は俺達で俺達は俺。同一で相違、光であり影、六人で一つの存在が、俺達だった。
しかしそれは畢竟、一人の弟によって全てが覆ったのだ。
俺が手を焼くことになったのが、四男の一松だった。根が真面目で正確であるが故に、その正解から外れてゆくことに酷く劣等感を覚え、他人からの侮蔑と自己の不完全さに怯え、そしてあらゆる関心を失うことで自らの瓦解を防がんとしていた。何者にも傷つけられぬよう自ら傷をつけ、怯え続ける自身を卑下し、自虐していれば心憂くも無いのだと遍く本心を押し隠す姿が、俺の脳を揺動させた。
「俺は信じてるぜ」
確かにお前はここに居る、と是認すればする程に、一松は不機嫌さを露わに掴み掛かってくるようになった。俺はきっと何かを間違えているのだろう。しかしそれは一松にとっての間違いであり、俺にとっての間違いではない。一松は自分が肯定されることを不正解であると認識しているが、それは違うのだと誰かが常に言ってやらねば、恐らくいつか本当に一松は生存理由を喪失する。
「お前に何がわかるの」
一松は数秒程俺を睨め付け、小さく鼻を鳴らして余所を向いた。
確か、その頃、からだろうか、個々の性質が明瞭に現出し始めた。三男はそれまでの暴れ様が息を潜め共に行動していた長男を叱咤するようになり、五男は優しさをそのままに気弱さを狂気で覆い隠すようになり、六男は八方美人に人心掌握を行うようになった。俺さえ大人の男に憧憬を抱き今日まで磨きをかけている。何も変わらなかったのは長男だけだった――弟の俺には判らない程些々なものであっただけかもしれないが――。それこそが、唯一の救いだったのだが。
六人が分かれてゆくのは必然だったと言わんばかりに、兄弟の変容は一松の変容と同時期であった。一松が引き金になったわけでもなく、そうあるよう六つ子という存在にコードされていたのだろう。かく言う俺も、子供時代の短気で無遠慮な思考の奥に進もうと変容し始めたのは――一松とは全く関係無しに――その頃である。しかしこれも幾分か年月を経たからこそ想起できるものであって、当時は自分達の不可解な変容など無理解に成長を重ねていた。
そして俺達は、二十と幾年へ成ってゆく。
一松の変容が終焉に近づいた頃。侮蔑の視線に安心感を覚え、自己嫌悪と自己否定の狭間で苦しみながら日々を過ごしていた頃。俺は、部屋に籠り煢然とした一松を肯定した。
「お前は悪くないからな」
一松は言う。
「うるさい」
腫れた瞼で、眉間に皺を寄せ、口を曲げ、蹲う下方から睨みつける。何も言うな。言われたくない。気にかけるな。構うな。そんな言葉がひしひしと伝わる程に殺伐とした雰囲気を感じ取りながら、しかし小指の先ほども素知らぬ顔をして、一蹴された胸の痛みを隠して怜悧に立ち去るのだ。
俺は怒らない。怒る理由もない。兄弟達を愛することが俺の使命であり、それこそが俺だ。一松は不完全なだけで、不満足ではない。兄弟としてそれを理解してやらねば、一体誰が一松を守ってやれるというのだろう。
ハリネズミのジレンマという言葉がある。ハリネズミは冬、寒さに耐え忍ぶため互いの体温を求めて近づくが、相手の身体のハリが刺さって抱き合えない、というジレンマだ。一松の身体にはきっとハリが生えていて、そして俺達の身体にもハリが生えているように思っているのだろう。歩み寄りたいのに歩み寄れない、苦痛、恐怖、心淋しさ。二律背反を抱え続けるのは困難で非効率だ。俺は一松の瞳に見えるハリを消し去る方法を、閉じた瞼の奥で思索していた。
どれ程前だっただろうか。ふと、静かな夜中に目が覚めた。漆黒の空間に次第に目が慣れ、電灯の形や部屋の内装が薄暗く瞳に映った。ぼんやりと右へ視線を向ければ、ぽかりと控えめに口呼吸をする一松の寝顔があった。寝ている時は穏やかで暗い視線も厳しい言葉も刺さらない。布団へ入ってから寝付くまで一松は布団の外を向いているので、こうして寝顔を見る機会はそうそう無い。すやすやと静かに寝息を立てる一松の、その口腔内でてらてらと艶めかしく蠢く舌に、本当にどうしたことか――これがすべての始まりだったと思うのは、恐ろしくて仕方ないが――、雷に打たれたように身体が竦んだ。
俺が形容し得ぬ妖艶さに心臓を高鳴らせ凝視していると、小さな呻き声の後に一松が薄く目を開いた。俺は咄嗟に目を瞑り所謂狸寝入りをしてみせたのだが、近づく気配に対し目尻が痙攣するのを感じた。
「カラ松」
未聞の柔らかさを孕んだ低語の声に、反射的に瞼を開けた。半分程見える眼睛とそれを囲う虹彩が仄暗さに反照する。同じ瞳を持って生まれてきた筈なのに、何故こんなにも燦めいているのだろう。勘違いでなければ、俺の名を呼び上気した一松は、射抜くように俺を見つめていた。
「何だ」
俺は兄だから、こいつの兄だから、平静を保たなければならない。何があっても俺は兄でいなければならない。一松を信じてやらねばならない。
「――――俺かカラ松以外の五人が、もし病気や何かで死んでしまったなら、残ったどちらかは、どうなるんだろう」
何故、そんな事を言うのだと、俺だけが感取している燦めきに対する罪悪感を押し留め、未だ不識の我が弟に覚られぬよう、答えを紬いでやるのだ。
「そんな、中途半端なことは、ないよ」
この夜に気が狂わねば、俺が残っても一松が残っても、その訃報だけで命を絶てるだろう。然して、寝惚けた弟の頭を静かに撫でた。互いの欠如を埋め合うことを求められたのなら、喜んで差し出そう。されど俺達の欠如は同一なのだから、埋め合う何かも持ち得なかった。
「僕のこと、助けてくれるよね」
幽闇に堕ちる瞬間、一松は笑った。
あゝ、神よ、若し本当にお前が在るならば、この哀しき姿の、その心を救う方法を、僕に教えてはくれまいか。
――届く筈も無い願いを風に乗せ、この愚かな一筆と共に、遠い空へと飛ばしゆこう。愛し方を間違えた、愛しき兄弟の為に。
※三つ目の紙飛行機
この手紙が誰に届くかわからないけど、どうしても暇なので、書きます。
俺には六つ子の兄弟がいますけど、長男から末弟まで揃ってクズ。だけど一番クズなのは俺です。どうせ俺なんかが生きてても仕方ないんだ。
だというのに、次男のやつがうるさい。俺と変わらないくせに。さっき俺が一番って言ったけど訂正、コイツが一番ダメ。
さみしがりやの似たもの同士のくせに。
くだらない内容だなって思いました? 暇だから書いただけですから。
読んでるあなたもこんな手紙きっとすぐ忘れてしまうでしょうね。存在も忘れるでしょうね。
どうして六人も生まれてきたんだろう。楽しくなくはないけれど。
兄弟は、まあ、嫌いじゃない。
以上。六つ子のひとりでした。
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