同人作品について一個人が語る回です。いきなり同人誌じゃなくてネット作品ですがめちゃオモロいので……。
初公開:2022年9月18日開催 Webオンリー「宇宙から見る光」
サークル:ハッピーやぎライフ 様
著者:めぇ子 様
ジャンル:ヒカルの碁 和谷+伊角
作品:Somewhere Over the Rainbow
以下、読了した当時あまりの面白さに勢いで書いた怪文書書評です。
「Somewhere Over the Rainbow」という怪作について、一介の読者として得た知見を述べたいと思う。 本作は尋常ならざる執着で以て執筆された、大気圏をも超越するほど巨大化してゆく伊角とそれを取り巻く周囲、とりわけその事から目を逸らし続けた和谷が導くメリーバッドエンドものなのではないだろうか。
最終章に向けて置かれている布石は穏やかな日々ながらもどこか剣呑さを醸し出しているが、我々に情報を与える視点主である和谷は伊角の異常性を明確に感知させない。我々はこのト書き形式と挿絵の表現方法から、和谷の牽強付会を感じ取るのである。 最終章で明かされる伊角の大きさはすでに人知を超えており碁を打てるような状況ではない。しかしその存在すら危ぶまれるほど巨大化した伊角の声は、和谷や本田には届くが我々には届かず彼らの会話の核心を知ることはできない。それはつまり、我々がどれだけ伊角の大きさを斟酌しようともそれは彼らには不要で、彼らの世界では伊角含めた全員がその大きさに関係なく碁の為に生きることができるということである。
そして、伊角の最後の台詞が我々に届いているということは、伊角の大きさは元に戻ったのだろうか? その答えは、否、だろう。著者からしたらここまで巨大化した伊角を標準的な人類の大きさに戻す必要がない。大きさは据え置いて声が届いた、と考えるべきだ。ではそれはなぜか。 これは、我々の斟酌が彼らの世界には不要である、という意思表示と考えるべきだろう。
伊角はその巨大さのまま、彼らの世界に戻ることができた。その事実を幸福な終わり方として描くことで、我々にとっての後味の不気味さを残している。これこそメリーバッドエンドと呼ぶべきではないか。 和谷は最後まで伊角を信じ続けた。それは我々には想像もつかない幸福を、最後に残したのだろう。
分かりましたか? 私は当時半分ネタのつもりで書き上げてグーグルフォームに送り付けたわけですが、今読み返すとなかなか良い線行ってるんじゃないかと思います。
めぇ子さんの話は自分にはまだ早いな……と思うものが多いです。理解力不足で。日々精進。
来たる1月、和谷と伊角さんのWebオンリーを企画されている主催様なのでどんな作品が出てくるか楽しみにしています。
草々